間質性肺炎の私が走り出したきっかけ

弱みを強みに!
世の常識を疑え!
自分のスタンダードを設定せよ!

まさき兄さんの著書「人材育成から学ぶ」人生の教科書からの抜粋です。

著書「人材育成から学ぶ」人生の教科書はkindleベストセラー22部門で1位をいただきました。 私のメゾットが生まれるに至るまでの事も書いてありますのでご一読いただけたらお役に立てると思います。 kindle Unlimitedでは無料で読みことができます。

当時の私は、支店を統括する本社本部から一支店の支店長として赴任したばかりでした。本部の時に現場に対していろいろと口やかましく言ってきましたが、今度は自分が現場に立って実践する立場に変わったのです。今までいろいろ指導していた立場だったからこそ、自分がやってみて実践できなかったら口だけの男になってしまうという焦りがあり、メンバーにも完璧さを求めていました。

そして、目標を達成するために私は無我夢中で頑張っていました。そんな中、総括していていた部署のプロジェクトの着地点に納得がいかず、思わず部下を必要以上に強く叱ってしまった時のことです。やりとりの中、彼が突然泣き出してしまったのです。

その部下は私の中ではとてもかわいい、これから成長が楽しみな部下でした。だからこそ、自分の持っているものを全て教え込もうと厳しく接していた部分があったのですが、それが部下には上手く伝わっていないことに気づきました。私は自分の成功事例、立ち回り方、手法などを押し付けていたのに過ぎなかったのです。彼は、私の期待を感じ期待に応えようともがき苦しみ、その末に完全に自信を失っていました。当時の私は、そのことに気づいていませんでした。

私はとてもショックを受けました。

「困った……」と思いました。正直言って最初はどう反応したらよいのかわからなかった。でも、まずはもがき苦しんでいたであろう彼の気持ちを聴いて、彼の痛みを受け入れ、その時の彼の心の状態に寄り添い会話を始めました。そこで改めて彼に自分の気持ちを話してみたのです。

「今まで強くあたりすぎて悪かった。Aくんのことはこれから成長が楽しみだと思っていた。だからこそ今の状況をなんとかしてやりたい思い、必要以上に厳しく接していたのかもしれない。君が居てくれて感謝しているし、一緒にやっていきたいと思っているし、次世代のリーダーになって欲しいと思っている……」

すると、今度は私の正直な気持ちを聞いて彼はもっと激しく泣きだしてしまいました。多分ずっと彼は私からのプレッシャーを感じ、不安の中で働いていたのでしょう。

人は魂が震えると涙が出ると言いますが、彼の魂が動いた瞬間だったのかもしれません。

そしてこの時、やっと私はこれまでの自分のやり方が間違っていたことに気づいたのです。今までは相手の気持ちも考えず、自分のやり方を強引に押しつけていた。でも、自分の本当の気持ちを伝えお互いの価値観、視点を共有しわかりあえてから、次に進まないといけなかったのです。この後、私の部下への接し方は大きく変わりました。

変わりゆく時代の中でも、変わらないことがあります。それは、人を育てる立場の人に必要なのは、「人間力」だということです。

人の話を親身になって聴ける共感力、360度様々な視点でものごとを捉える視野の広さ、人の失敗を許せる包容力、人の特性から才能を見分けそれを仕事に導く力、これらの力は時代が変わってもずっと必要とされます。

これからの時代は、チームはリーダーの指示にただ従って努力するだけでは結果が出にくくなっています。リーダーはメンバーそれぞれがリーダーシップをもち、主体的に動けるように導く力が求められるのです。

◇本当の意味で、できない人の気持ちがわかっていなかった

私は会社員時代、比較的順調に働いてきたほうだと思います。上司は「やりたいようにやっていい」と言ってくれて伸び伸びと仕事をさせてくれていたし、なにかで人より劣っているという部分もなかった。そのため、出世もトントン拍子で38歳には本社部長職を任され、43歳には本社支店の支店長になりました。年収もそれに応じてアップしていきました。

ただ、今思うとそれで少し調子に乗っているところもあったと思います。今ふり返って客観的に自分を見てみると相当生意気なふるまいをしていたと思います。

当時は「仕事なんか、できて当たり前」と思っていました。そして、「俺ができるのに、なんでできないんだ」と、部下にも同じクオリティの仕事を求めていました。

こう言うと嫌な奴だと思われるかもしれませんが、できない人の気持ちがわからなかった。知らず知らずのうちに、部下に自分の考え方を押しつけていたのです。

まえがきでお話したかわいがっていた部下に泣かれてしまったことがきっかけで、私は今までの自分のやり方が間違っていたことに気づきました。一度、そのことに気づくとあの時もこの時もと、自分の今まで行っていた仕事のやり方に反省の気持ちが湧いてきました。

その時初めて、“自分にとっては難しくないことでも、人には苦手とすることがある”ということを意識したのです。もちろん人が得意で自分が得意でないこともあります。だから、自分が得意としないことをあえてやってみれば、部下の気持ちがわかるのではないかと思いました。

そこで私はランニングを始めました。

実は私は過去ひどいヘビースモーカーで、その頃「間質性肺炎」と「肺気腫」を患っていました。肺の三分の一ほどの肺胞組織が繊維化されていたのです。そんな私にとって、一番辛いことが肺活量を必要とされるランニングなどの有酸素運動です。だから、ジャンルは違うけれど、これは逆に自分にとっては苦手なことにチャレンジするよいチャンスだと思いました。

実際にランニングをやってみると、思った以上に辛かったです。

「自分はこんな苦しいのにまわりは普通に走っている……辛い……」といつも感じながら走っていました。どれだけ努力しても他の人と同じような一定レベル以上にはいきません。

でもそれと同時に、「私の部下たちも、こうして仕事をうまくやりたくてもなかなかできずもがき苦しんでいたんだ……」ということをひしひしと感じたのです。

「自分は思いやりに欠けていたな……」と思いました。

改めて、その人にとっての“普通”の基準というのは違うということ。個々の価値観や経験、能力によって同じものを見ても見え方が変わってくるということを強く意識しました。

その後、まえがきでふれた私の部下を含めた何人かの会社の人たちに、「一緒にランニングを始めて、支店エリア内コミュニティのマラソン大会に出てみよう」と誘い出しました。そしてその時は、ランニングで苦しんでいるありのままの姿でいるようにしました。

私だって欠点のある人間で、弱いところやかっこ悪いところもあることをそのまま彼らに見て欲しかったのです。そうして、素の自分のままで部下たちとコミュニケーションをとるうちに、彼らも自分の本音を話してくれるようになり、次第によい関係が築いていけるようになりました。
弱みが強みに変わった瞬間でした。

私の肺胞組織の繊維化は明らかな弱点です。でも、弱点をほったらかしにしておいたらもっと悪化します。そして結果的には自分を苦しめることになります。※今現在の医学では運動はしない方が良いとさせてますが、私は現代医学のエビデンスには当てはまらないと設定しました。
だからこそ、苦手な部分を隠さず、そこも切磋琢磨して鍛えていくことで弱点を克服していかなくてはいけないのだと実感しました。

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